39 雪国ひさしとは
雪国ひさしとは
1974年昭和49年初代社長 岩井嘉章が出張先の四国のタクシーの中でひらめきました。
鋼板(トタン)で庇を作ればいいなあと。
私が小学校6年の時でした。倉庫で夜遅くまで父が庇を手作業で作っていたのを覚えています。
父はいい製品ができたことに満足していただけのですが金沢の通善商店の展示会に出展したところ旭硝子から引き合いがありそこで大ブレーク。
北陸中心に全国毎日200本程度出荷するようになりました。
雪国ひさしのネーミングは父が夕食の時に雪国に庇(ひさし)を付けるから雪国と言ってそうなりました。
雪国以外にも日本中に付けて欲しいので太平洋側には青空ひさしとネーミングしていたりしたのです。
製品はどちらもほとんど同じです。